絵手紙「夢工房」について
心をつなぐ 絵手紙
あなたは心から
ありがとう…と言える人
何人いますか
桜をテーマにした
「心を伝える絵手紙展」
東京・杉並区の吉水咲子さん(写真)は、絵手紙指導者の一人。
98年、「絵手紙夢工房」を創設し、04年にはニューヨーク・マンハッタンのギャラリーで桜をテーマにした「心を伝える絵手紙展」を開いた。
現在は首都圏に10教室を持ち、福祉団体へのボランティア活動など多忙な毎日を送っている。
団塊の世代の吉水さんは平成15年に、77歳の母を亡くした。
晩年、一人暮らしだった母への募る想いを絵手紙にすることを
思いつき、以後、毎年、天国の母への絵手紙展を開いている。
母が好きだった桜の絵につける文章は、
すべて自作の短詩である。
〈今年も桜が咲いたよと一番に伝えたい人がいる〉
〈住所は空の上しかわかりません〉
〈この手紙届きますか 郵便屋さん〉
「私のお墓の前で泣かないで下さい」と詠った「千の風」にどこか似通ったリリシズム。
切なくもさわやかな風が空を吹き抜けるようだ。
栃木県の寒村生まれ。営林署の山仕事や農業を生業にしていた父と母に兄、妹2人の6人家族。
子供のころ、四方を山に囲まれた小さな村には、福島など隣県から物売りの車が流行歌をスピーカーで鳴らしながらよくやってきた。
三橋三智也の「哀愁列車」はリンゴ売り。春日八郎の「別れの一本杉」は魚売り。
リンゴを焚き火の中に入れて作った「焼きリンゴ」は美味だった。
当時、どこの家も食べ物はすべて手作りだった。添加物が一切入っていない味噌は、いつも表面に白いかびが生えていた。
そのころの忘れられない「思い出ごはん」は自家製の納豆。
子供たちも総出で作る納豆は、わらを一握り結んで半分に折り、
そこにやわらかく煮た大豆を詰める。畑に穴を掘り、むしろをかぶせて一週間ほど寝かせて発酵させるが、何故か糸を引かず、
子供心にも不味かった。
冷やごはんに味噌を混ぜただけの「焼きおにぎり」を作るのも子供の仕事だった。
炭火で焼き網の跡が絣(かすり)模様のようにこんがりと焼く。
具は何も入っていなかったが、香ばしくて美味だった。
好きな絵のテーマは
吉水さんの絵手紙の材料は、珈琲のフィルターなど多彩。好きな絵のテーマは野菜など台所にあるものなら何でも。家族が肩を寄せ合って暮らした幼い頃をそして人一倍我慢強かった母を思い出しながら今日も絵手紙を描く。